子安天満宮由緒

ご祭神

菅原道真公

発祥の縁起

当社は菅原道真公の側室、其の子及び公を祀ってある。社伝によれば醍醐天皇の延喜元年公の太宰府に左遷の時、側室が臨月であったが別れを惜しみ公の後を追ってこられ当地を過ぎる時に俄に産気を催したが人家に寄る隙もなく輿中に生まれ、待者倉輿を担いで民家に入ったが流血は輿中より洩れ道路が赤く染まったので、「赤大路」の地名が起った。同側室は産後の経過が悪く、ついに当地で死去された。その死期に臨み、里人の介抱を深く感謝し死後は婦人安産の神たらんと誓われたので、村人が社殿を建立し祀ったのが、当社の創建と伝えられている。現在の本殿、拝殿は昭和46年に新築された御社殿であります。

明治七年 子安天満宮社頭境内図